Srors Soun Hor

1991.9.8 農村に産まれる。
幼いころから、父親は自分勝手な性格でほとんど家にいなかった。その関係で母親はお金を稼ぐためにいろいろな仕事をしていたため、祖父母に勉学を教わっていた。 小学校に入ると、周りと比べて貧しい自分の生活をコンプレックスに思うようになった。 そこで、昼食を我慢することで母親から毎日貰える昼食代の10円を貯金し、たまったお金で果物を仕入れ学校の休み時間にクラスメイトに販売しお金を稼いでいた。 成績優秀で5年生から7年生へ飛び級したことが原因でクラスでの商売ができなくなり、金銭的な面で母親を助けるためプノンペンの親戚の家に行くことになった。

プノンペンには勉学の環境が整っていたためワクワクしていたが、親戚の家では学校に行かせてもらえず一日中家政婦のように使われ罵声を浴びせられ続けた。 生活の辛さから半年後に母親のもとに戻ると、新しい父親がいた。母親1人の稼ぎでは、生きていくことは到底できなかった。 父親は前夫との子であるスロに厳しく、母親も妊娠したため生活は苦しいままであった。家族総出で生活費を稼ぎつつも、半年間のブランクを埋めるために毎日必死で勉強していた。家族でポテトケーキを販売しているときには、昔クラスメイトに果物を販売していた経験を活かして母親に言われた額より少し高めに販売し、大好きな祖父母に会いに行く交通費にした。

20歳の時に倍率23倍の奨学金制度に合格し、そのお金でシェムリアップで一番優秀な大学に通うことができた。しかし、家族の生活費のためのアルバイトを日中していたため夜間しか勉強する時間がなかった。そんな生活を続けていると、カンボジアで活動するNGOが現地人のプロジェクトマネージャーを探していると聞き、迷わず応募した。何度も断られたが諦めずに熱意を伝え続け、そこで環境保護やプロジェクトマネジメントについて学んだ。

26歳の時にNGOで培った知識を使い、Rokhakを設立した。